このブログは辞書であるつもりはありませんので、それぞれの「言葉」としての意味は調べて下さい。
「理想」=「明日」、「現実」=「昨日」という図式は成り立つのでしょうか?・・明日にも現実を持ち込むわけだから、違う気もするけど、昨日=現実、は何となく納得できるかも・・
このtweetからヒントをもらいました。今の時点で會澤の頭の中にそれぞれの定義は漠然としています。しかし、書き綴っている中で鮮明になったり、不鮮明になったりするので、そこはご了承の程。
3つのカテゴリに分けましょう。【「理想」・「現実」】【「昨日」・「今」・「明日」】【「自分」・「他人」】。
「理想」・「現実」
常々、「努力したものは報われる」という言葉が嫌いだというのは、このブログで何度も書いてきました。あたかも、「努力した」故に「報われる」または、「努力した」ら常に「報われる」のように使われることが多く、それは違う。と言ってきました。會澤にいわせると、「努力は報われることの必要条件だ」となります。報われたいと思えば、努力は不可欠だけど、だからといって報われるとは限らないよ。というチョット夢をぶっ壊すような言い方ですが、それが現実です。
理想というのは、いくらでも思い描くことができる。ところが現実はそうはいかない。私直面してますよ。もちろんあなたも直面しているはずです。
では、現実を直視して、理想はどうでも良いか。これもまた大きな間違い(間違いではないかもしれんな)だと會澤思うわけですよ。目指すべきもの。そこが明確になっていないと、流されていくだけになってしまいます。不思議な事に、これを「自由」と勘違いしている人がいかに多いか。これは自由ではなく、ただ目的がなく彷徨っているだけ。
理想ってのは、目指すもの。さっき會澤は、努力したからといって必ずしも報われない。と言ったじゃないか。そう思った人いるんじゃないでしょうか。その通りです。理想は自分が目指すべき目的地です。そこにたどり着けるかどうかは分かりませんが、理想は目指す場所であることに変わりません。それすら見失って彷徨っている人たちは、自分の殻の中に閉じこもって、小さなコミュニティーを作りがちです。やけに排他的だったりします。
ただし、怖いのは理想が到達す「べき」目標になってしまうことですかね。政治に絡めてしまうと、嫌がる人がいるかも知れませんが、政党と議員の関係。政治と選挙の関係なんかが、ちょっとまずい方向にいっている例かも知れませんね。本来、考えを同じくする者が集まって政党ができました。しかし、現在はまず政党在りし。議員は駒になってしまっている可能性があります。そして、選挙。これが政治の目的になってしまってはまるで話になりません。しかし残念ながら、そっちの方が現実ですね。望む物ではない。でも、ここで理想を投げ出してしまっては、漂流者になってしまいます。目標を語ることが当たり前になって欲しいのですが、大きな目標を口にするとわらいものになったりするのは困りものです。
「昨日」・「今」・「明日」
これは不思議だと思いませんか。因果律って言葉聞いたことがあります?
因果律とは、いかなる事象も時間的に過去に起こった事を原因として起こるとする考え方である。
有名なアインシュタインの時空という考え方にも時間軸が登場します。空間といったとき、私たちはxyzの直行座標(正確には直行である必用はない)を持つ3次元というのを思い浮かべます。そこに時間というもう一つのベクトルを付け加えて、時空間などと呼びます。ところがこの時間というベクトル。なぜだかひとつの方向しか持つことができません。無理にベクトルの方向を変えるような定義を作ろうとすると、タキオンという光速度を越える粒子が出て来たりして、だんだんSFの方向に向かいます。
少なくとも科学的には、昨日が明日のあとからやってくることはないのです。何でしょうね。私不思議に感じます。
私には、2歳8ヶ月になる甥がいます。彼は、すでに自分の身に起こったことが現在の事象なのか、過去の事象なのか認識する能力を備えています。ただし、彼にとって過去は全て昨日です。少なくとも言葉の上では、彼の過去は全て「昨日」という言葉で集約されます。こっちは時々混乱しますけどね。「昨日、お魚食べた」「あれ、昨日はお肉じゃなかったっけ?」「うん」。彼の中では、過去がみんな昨日なんですね。
これが、認識のうえなのか、単純に言葉として「一昨日」とか、何日前。と言うのがインプットされていないのなら、それはそれなのですが、彼の言動を聞いていると、昨日という一言の中に、すでに少し前の昨日。とか、遠い昨日。と言うのが存在しているようなのです。甥の成長を見るにつけ、人間の認識する時間軸というのが、非常に早い段階で生成されるんだなぁというのが分かります。蛇足ですが、少し前までは、お昼寝して起きたら、お昼寝前は昨日でした。ところが、最近そうではないらしいのです。一日のサイクルが、睡眠という記憶が途切れることでワンサイクル回るのではなく、一日という決まったサイクルで回っているのだということがどうも生成されているようなのです。私は、とってもおもしろいなぁと思います。
明日は必ず昨日になる。昨日が明日になることはない。これを踏まえて、ひとつ前の理想と現実を当てはめてみると。明日が理想に相当します。ところが、先ほども書いた通り、理想は必ず現実になるとは限りません。現実は「今」と考えて良いでしょうか。私は、過去と今をひっくるめて現実とした方がいいと思います。あとで書きますが、「今」という存在がとっても危ういものだからというのもあるんですけどね。
しかし、現実と言ったとき。それは過去と今を指すことは間違っていないと思うんです。現実は確定した話。と言うことは過去を指します。現実というと「今」を思い浮かべる人も多いかも知れませんが、屁理屈に聞こえるかも知れませんが、過去と未来の境界線を「今」と言うだけで、「今」と言葉にした時点で「今」は「過去」になります。そんな危うい存在だと思っているのです。
人間の思考ってヤツは、全て過去に蓄積されていきます。今、こう思う。と、書いた時点でその記述は過去の記述になります。甥の「今」は、連続して続いている記憶の時間を指すかも知れません。私たちもそう考えることが多いと思います。思ったことはその時点で思ったことでほんのコンマ数秒前に起こったことです。私たちは本当に今に生きているんでしょうか。
明日が理想だとしてもかまわないと思います。理想ってものはそういうものですから、明日は未来と言い換えた方が良いのかな。ところがやっかいなことにそれはイコールで結べない。もしかしたら、ある人にとってイコールで結ばれるのかも知れない。また別の人には、「≠」で結ばれる。さらに、「≅」かもしれませんね。ファジーな関係でイコールでも、ノットイコールでもない。それこそ0〜1のいずれかの点を取る。無限数の世界に突入します。
ついてきてますか?それが、「今」という境界線を挟んで一瞬で収束するんです。これが會澤スゲェおもしろいと思うんです。無限(ほんとは無限という定義はよろしくない)の未来から「今」というあるのかないのか分からない境界線を越えるとひとつの現実(過去)に収束する。確定した現実(過去)は決して未来には戻らない。少なくとも今の時点で、これだけが真実。誰にとっても同じ。未来はブヮ〜っと広がっているのに、瞬時に収束して現実になる。
さらに、個人という所に限定すると、広がった未来の先には【死】というものがこれまた収束しているんです。「理想」=「明日」、「現実」=「昨日」という図式は成り立つのでしょうか?・・明日にも現実を持ち込むわけだから、違う気もするけど、昨日=現実、は何となく納得できるかも・・
最初に引用したこのtweet正しくもあり、ちょっと違うかも知れないですね。ところが100%正しいこともあり得るからやっかい。
「自分」・「他人」
最初のtweetになかった2つの単語を並べました。何でしょう。ここからは、會澤の入院して現実と非現実の間で感じたことなんです。ここが一番長くなりそうですので(ただでさえ長くなってしまっているのに)、仕切り直しましょう。